ファッションデザイナーも街づくりの一員に
好きなファッションデザイナー第1位はヨージヤマモトやY’sでおなじみの、山本耀司が1位にランクイン。
そんなSNS世代のファッション好きの若者たちは、どのファッションデザイナーが好きなのでしょうか?
世界的に有名な日本人ファッションデザイナー2人目は山本耀司、ブランドは「YohjiYamamoto」です。当時タブーとされていた黒での表現、身体に沿うシルエットという常識を覆した「太めのシルエット」等、様々な常識を破壊して想像するデザインを展開し、世界的に有名なファッションデザイナーとなりました。
世界的に有名な日本人ファッションデザイナー3人目は高田賢三、ブランドは「KENZO」です。1965年にはパリへ渡り、オープンしたブティックでは日本人の心を忘れない、着物地のワンピースを発表した事で評判を呼びました。
でも、2000年くらい過ぎたころから、カレン・ウオーカー、ワークショップ、ザンベシ、トレリス・クーパーなどのデザイナーが活躍し始めました。さらに、ファッションウィークが創立され、海外のバイヤーからもニュージーランドのファッションデザイナーが注目を浴びるようになっていきました。僕もその波に乗ってオーストラリアやニュージーランドで40店舗くらいにSAKAGUCHIを置かせてもらえるようになったという感じです。
1970年にパリコレクションデビューをした際、カラフルなカラー使い和洋折衷と独自のスタイルで注目を浴び、イヴ・サンローランとともに1970年代のファッション界を牽引した先駆者として、日本人ファッションデザイナーの憧れの的となりました。
世界的に有名な日本人ファッションデザイナー1人目は三宅一生、ブランドは「ISSEYMIYAKE」です。1973年パリコレでプレタポルテを発表した際には、インドのサリーのような「一枚の布」で身体を包むという形が普遍的であるという考え方や発想が、これまでの服作りの概念を覆すと大きな話題を呼びました。
SAKAGUCHIブランドを立ち上げ、ニュージーランドファッションの発展に貢献した服飾デザイナー坂口隆章さんに、この国のファッション業界についてやファッションに対する思い、そしてファッションデザイナーから陶芸家への転身した理由を伺った。
1967年生まれ大阪府出身。クライストチャーチ在住。近畿大学と大阪モード学園に同時に通いデザインの勉強した後、アパレルメーカーに就職、「KOSHINO」一門で、約7年間研鑽を積む。ニュージーランドに移住後は1996年からこの地のファッション業界で経験を積んだ後「SAKAGUCHIブランド」を立ち上げる。豪州・ニュージーランドを中心に圧倒的な人気で展開するが、2018年、ファッションデザイナーから陶芸家に転身。
世界的に有名な日本人ファッションデザイナー4人目は川久保玲、ブランドは「COMMEdesGARCONS」です。1981年にパリコレに参加した際、直線的でノンセクシャルなデザイン、アバンギャルドな服作りはファッション界に新たなインパクトを与えました。
そして1982年には伝説の黒服、穴あきニットは「黒の衝撃」と呼称され日本でも「カラス族」として流行しました。2013年にはエルメスとのコラボレーション「Comme des Carrés」(コム デ カレ)を発表するなど日本人を代表するファッションデザイナーとして海外からも高い評価を集めています。
三浦大知さんは、1983年生まれ・東京都出身のファッションデザイナーで、イラストレーターやアートディレクターとしても活躍しています。
ファッションデザイナーも街づくりの一員に。
世界的に有名な日本人ファッションデザイナー5人目は津森千里、ブランドは「TSUMORICHISATO」です。2003年パリコレに参加し、すぐに人気を集めました。
もちろん、ファッションデザイナーの視点から考えることもとても大事で、単純にサステナブルな素材を選んだからOKということにはなりません。世界中にサステナビリティを意識したマテリアルはたくさんあるので、どれをチョイスするか見極める力がより求められるでしょう。さらにそのうえで、パターンを裁断する時に無駄が出ないか、加工方法が工賃と見合っているのかなど、生産プロセスを見直すことも大切。もっと言うと、デザイナーがどんなにいい素材を選んで、生産体制を整えて服をつくったとしても、その思いが消費者に伝わらず、短期間で破棄されてしまったら意味がなくなってしまいます。